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維盛岩

(1)道程

「維盛岩」及び「維盛社」は熊野市井戸町瀬戸にある。
井戸町に流れ出てきている井戸川に添って北山村の七色ダムに出る道があるのでそれに従う。
10分位走ると道は二つに分かれ右に行くと大馬神社方面となるがここは直進する。
そこから5分も走らない内に瀬戸に出る。
瀬戸には道の上50米位の所に端岩寺があり、「維盛社」は今ここに祀られている。
墓地の一番上の所であり眺めのよい所である。
以前はそこより約300米位上手の山の中腹のオカネという所に祀られていたがお参りに不便だと言うことで端岩寺に移したそうだ。
維盛社の管理は近くの平定昌氏がしているようだ。
その瀬戸のバス停の次は大峪口であるがそこに左へ入って行く道があり、「維盛岩」の方向を示す案内版を立ててある。
そこから入ると約2百米で終点となり、家が四軒程建ってある。
そこにも案内板があるのでここからはそれに従って山に入る。
百米位入ると大きなえん堤がありその階段を登り更に百米位行くと「半次郎岩」が道の上にある。洞穴の高さは十五米位、奥行きは10米以上あるだろう。
暗くて中は見えなかった。
半次郎岩は屋敷跡の手前にある事からここで半次郎氏は見張りをしていたのだろうか。
平維盛の家来に龍神・小森谷から連れてきた岩井半次郎が居たと言うことから、あるいはこの人が見張り役であったのかもしれない。
とすると維盛も一時この近くの屋敷跡に住んだのかもしれない。

(2)維盛岩

半次郎岩から二百米位行くと「維盛岩」がある。
ここに昔は「維盛社」が祀られていた事から「維盛岩」と名付けられたのであろう。
下部は二米四方の空間になっているから社はそこにあったか、又はその前の平らな岩の上に祀られていたのであろう。
いつの頃か解らないが「海の見える所に祀ってほしい」と言うことから井戸川を挟んで対岸のオカネと所に移したそうだ。
維盛岩の少し手前に「落人が火を焚いた」という岩がある。
そこは谷の上であり、下部に穴があってその穴の下面は平らになっている。
「火を焚いた」といわれれば成程と納得できるその造りとなっている。
その岩のすぐ下は小さな滝となっている。
落差4米位であるが1幅の絵になる滝である。
落人達はこの滝で身を清め、谷川で魚を捕り岩穴で火を焚き魚を焼いて食べたのであろうか。
その頃の生活を想像させるに充分な場所である。
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(3)維盛社

□御神体は「落武者の刀」であるが、明治の時代に京都の鑑定士に鑑定依頼に出してから返ってきていない。
とにかく古く値打ちのある物であったそうだ。
□和銃が入っていた時もあったがこれは後から入れられたもので今は入っていない。
□大きな位牌があり「 閼逆道永居士各位」とある。その右に積難道治居士、左に喜山妙 閼居士とある。
天保十二年(1841年)8月施主とあり、五名の名が書かれて居る事からこの時に位牌が作られたものであろう。
位牌の上部に家紋があり「丸に三つの星」のマークである。
三ツ星は大江家の家紋であり那智勝浦町の湯川、二河へ落ちてきた大江家と同じ家紋である。何か関係があるのであろうか。
□「熊野市史」よると「維盛社」を代々祀ってきたのは大平・瀬平・平・西・下岡・平野・田中の七名であると記されている。

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(4)屋敷跡

屋敷跡は維盛岩の正面の山の中腹にある。そこへ行くには維盛岩の上流、約百米の所に二つ目のえん堤があるので、その階段を登って、えん堤の上に出るのでそれを左に登り、約百米行くと、大きな岩二つと杉の木が三本立っているので、その後が屋敷跡である。(ここを平六と云う)
今は木が切られているので見晴らしが良いが杉の苗が植えられており、その内に杉山となってしまうのだろう。石積みの跡もないので訪れて見る程もないところである。