坂本顕一郎研究サイト    

鏡渕

一、色川伝説

口色川の色川神社と円満地公園の間に鏡淵という淵があった。 今はもうその淵も無くなっているが、田垣内(たがいと)の深瀬の谷から流れてきた水が太田川に流れ込むところで、昔は淵になっていた。

色川神社の約二百メートル下流で長淵の下である。 その淵に昔、飛び込んで死んだ女がいる。 京装の美女で、子供を連れて色川にやってきた。 「平維盛様を知りませんか」と聞くが、色川の人達は維盛のことは秘密にすることになっているので言うことができない。 「そんな人は知らない」とか 「維盛様は那智の沖で入水して死んだ」とか言ったのだろう。 悲観した女は子供を村人に預け、鏡淵に飛び込んで死んだ。

尚、その女は飛び込む前に持っていた鏡を近くの木の枝に掛けていたという。 色川の人達はその女を哀れみ、淵の前に小さな祠を立て鏡を入れて祀った。 この事から祠は「鏡神社」と呼ばれ、淵は「鏡淵」と言われるようになった。 しかし、今はその祠は無い。昭和二十年代にある人が川に投げ込んでしまったそうである。

また別の伝承として、 女が淵に飛び込んで七日目に、色川の庄屋の門を叩く初老の男がいた。 「それがしの娘が置手紙をして二ヶ月前から行方不明になった。みめ麗しき修行僧の煩悩に悩まされ、恋しさ一途に太田川奥へ行ったとの噂で太田川づたいにやって来ました。」と言うので庄屋の主は鏡淵に飛び込んで死んだ女のことをいってあげたが、村人には初老の男のことは秘密にした。

(鏡淵)
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二、京装の女は誰か

さて、この女ははたして誰であろうか。考えられる女として

○維盛の妻であった建春門院新大納言
○有田川町上湯川の兼盛の母(富貴)
○古座または西中の川の光盛の母(名前不詳)
○下里の維丸の母(お八重)
○白菊姫 以上が考えられる。

1.建春門院新大納言

この人は維盛が京でいたときの妻である。 六代丸と夜叉御前の二人の子がいた。しかし平家西走の時維盛は妻も子供も京に残している。 これは妻が吉田経房と密通していることがわかったので、妻も子も義絶した為である。 建春門院新大納言は間もなく経房と再婚し(尊卑文脈)1185年には男の子を生んでいる。

経房はその後、邪魔になってきた六代をその地位(権大納言)を利用して死に追いやったが、後鳥羽天皇に責められ出家後死亡(暗殺らしい)している。(1200年) しかし建春門院新大納言はその後大納言実宣とまた再婚しているのは、とびきりの美女だったからである。(明月記) 以上の経過からすると子供を連れて色川まで来ることは出来なかっただろう。

2.兼盛の母、富貴(平景清の妹)

維盛の子、兼盛は1184年の末頃に龍神の小森谷で生まれている。その屋敷を景清は1188年に訪れている(維盛由緒記) 目が丸くてとても可愛い子で、さすがは維盛の子だと思ったと記している。 だから富貴が子供を連れて色川まで来たとなるとその後のことであるが、富貴は母親と一緒に住んでいたので、探しに来たとなるとその母親であり伝説の初老の男と合わない。 伝説は伝わっていく内に誤って伝えられる事もあるので初老の男が女であった可能性もある。 また女が行方不明になって二ヶ月後に探しに来たことからすると遠い所から来たことが考えられる。しかし幼い子を遺して母は死ねるものであろうか。

3.光盛の母(名は不祥)

光盛はどこで生まれたかはわからない。 私の本「どっこい維盛生きていた」では維盛が古座の高川原家に遊びに行った夜、そこの娘と一夜を共にして生まれたとしているが、これは小説上のことである。しかし光盛の子孫が古座へ出て高川原家を名乗ったのは間違いない。 光盛が色川の西中の川に住んだ事や、光盛に弟が生まれていない事などを考え合わせるとこの光盛の母である可能性は高い。また太田川をさかのぼって探しに来たということから、太田や古座から来たという事とも合致する。

(光盛の墓、西中の川)
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郷土史家の井戸弘氏は、その書のなかで高川原の娘が維盛を追って龍神に行き小森谷の淵に飛び込んで死んだと書いているが、何かの本に高川原の娘、入水と書いているのかもしれない。 小森谷の淵に飛び込んだのはお万であり(お万が淵という)地元の娘ということになっているので、高川原の娘が龍神まで追って行ったとは考え難い。井戸氏は色川の伝説を知らずにお万伝説と結びつけた様に思う。 このことからすると、鏡淵に飛び込んだのは光盛の母の可能性が高い。

4.下里の維丸の母(お八重)

維丸は維盛とお八重の間に生まれた子であり、1182年生まれと推定される。 翌年の平家西走の時、お八重は兄(維盛六人士の一人)六兵衛と維丸を抱いて生まれ故郷の那智勝浦町下里に帰る。 その後熊野の山中に隠れるが、やがて下里に出て下里姓を名乗り維忠と改名し下里城主となる。

このお八重が維盛を追って来たとも考えられないこともないが、お八重は維盛より七つも年上である。 維丸がお八重と共に隠れ住んだ熊野山中(場所不明)と維盛が隠れた色川は近くであり、時々会っていたと考えられるので、淵に飛び込んで死んだとは考え難い。

5.白菊姫

維盛を慕って京から来たが、那智で維盛は死んだと聞かされ宇久井の建石の浜に庵を建てて維盛の供養をしたとの伝承のある人である。 その後京へ帰ったとされているが、ひょつとしたら淵に飛び込んで死んだのかもしれない。 京装の女であり、藤太という初老の男(父親か)と一緒に来ていたという事とも合致する、 尚、建石の「鎧掛け松」のある岩山の下に、白菊姫に似た岩があるのでまだ見に行っていない人は行って見てください。何か教えてくれるかも知れない。

(手前が白菊の浜、先端の岩山に鎧掛け松がある)
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(白菊姫の岩)
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以上四人の女のついて検証してみたが、可能性の高いのは光盛の母か白菊姫であろう。

三、新宅浅吉

さて、この女と関係があると思われる家が近くの円満地にある。 新宅家がそれで浅吉という男がいた。 明治二十八年の日清戦争の時、彼は出兵したが、死なずに帰って来てその鏡淵の前に小屋を建てて住んだ。 ヒゲをはやし、身なりも質素なので人々はあまり寄りつかなかったそうですが、おとなしい性格で近所の農家の手伝いなどをして生計をたてていた。 彼は生涯嫁をとらずに独身を通したが、大変な勉強家で色々な本を読み、部屋には沢山の本が積まれていた。

やがてその内に浅吉さんは拝み屋を始めた。お灸をすえたりカン虫とり、指圧、名付けと何でもござれで、人々の病気を治すなどをして、人助けをした。 さてこの浅吉さんと鏡淵に飛び込んで死んだ女とは関係があるのであろうか。 私は関係ありと見る。 というのは、人は誰でもあの世で成仏したいと願うものである。 女もいつかは雑念から逃れ成仏したいと願っていただろう。 ところで、その成仏するということであるが、人はあの世に行ったらもう肉体を持っていないので自分で修行して成仏すると言う訳にはいかない。必ず生身の肉体をもった誰かに(親族が多い)自分の思いをさせる事によって霊は成仏していくものです。 そのことを考え合わせれば、その女は成仏したいばかりに近くに住んだ浅吉さんを通じて思いを晴らせ、成仏していったと見ることができる。 すなわち

○浅吉さんが独身を通したことで女は浅吉さんを自分の男として独占し、生前の悔しさを晴らした。

○みすぼらしい身なりやヒゲを生やさせたのも、女を寄せ付けない為の方策だったのであろう。

○本を読ませたのは、女は自分の事が何かの本に書かれているだろうから、その本を通じて自分の事を知ってほしかったのだろう。

○拝み屋さんをやり人々を助けたのは、「私も世の人々の為に何かをしたい」という願望から善霊となって浅吉さんの霊に働きかけ、病気を治していったと考えられる。

以上の様な行為を経て鏡淵に飛び込んで死んだ女の霊は成仏に向かったと推察 される。

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↑新宅浅吉の住んだ屋敷跡

四、新宅阿新(くまわか)

浅吉さんは分家の方でしたが今度は新宅家本家の方の話です。 円満地の新宅家本家に阿新という男がいた。 第一名前が変わっている。阿新と書いてくまわかと読むのですがどう考えても まともな読み方ではない。 ひょつとしたらこの名前に鏡淵に飛び込んで死んだ女のヒントが隠されている のではないだろうか。 私も阿と新について考えてみたが

○光盛の子孫、八代目に源阿と言う人が居る。

○維盛の妻の建春門院新大納言に新という字がついている。

それ位しか思いあたらない。 さてその阿新さんであるが名前だけでなく、その所作も変わっている。 何をするのも女形で、話し方、身振り、手振りも鈍く、歩く姿は女の様であっ たという。これは正に、平安貴族の京女そのものである。

彼は明治の終わり頃に生まれたのですが、昭和の始め頃に兄や妹と一緒にブラ ジルへ渡った。 当時はブラジル移民のブームで色川や太田からも大勢移民している。 そんな訳で、新宅家では男が二人ともブラジルへ行ったので、後を継ぐ者がい なくなり、浦家より勝男氏が養子に入り、塩崎家より嫁さんを迎えてやっと跡 取りができた。

所が十数年たったある日、阿新さんがひょつこり帰ってきた。 ブラジルでの生活は厳しいので女形の阿新さんには耐えられなかったのかもし れない。 ともかく浦家より嫁さんを迎えて鉱山で働いたが子供はできなかった。 昭和五十一年に六十七歳で死亡している。 また勝男氏夫婦にも子供ができなかったので、岸本家より娘さんをもらって養 女にしたそうです。 さてここで鏡淵の女と阿新さんとの関わりですが、私は次の様に考えます。

○女は浅吉さんにより成仏し善霊となっていた。

○善霊となった霊はようやく子孫の霊となって生まれ替われるのですが、この生まれ替りが阿新さんだと考えられます。

ただ、普通には女の霊が男の霊として生まれ替わることはない。しかし、この女の場合、浅吉さんによって善霊となったので自分は男だと勘違いをしたのではないだろうか。だから阿新さんの所作が女形になったと考えられます。

いずれにせよその女は人間として再び生まれ替わり、その人生を全うできたの だから「目出度し目出度し」となったのである。 だから私達も鏡淵に飛び込んだ女を、今は可愛そうにと哀れむことはいらない。

なお、鏡淵の前に祀られていた祠を誰かが川へ投げ込んで捨てたのも、女が「も う拝んでくれなくても良い、今は善霊となっているよ」ということで、その人 を通じて捨てさせたのだろう。 今その女の霊は、さわやかな千の風になって色川の空を吹き渡っているのであ る。 その鏡淵の前の道も今拡張工事が進行中で、間もなく広い立派な道路となって 生まれ変わるのである。 時代は確実に進んで行っている。